「あの人、受容できてないよね」——リハビリテーションの現場でよく耳にする言葉です。でも立ち止まって考えてみると、障害受容とは本当に「できる・できない」で語れるものなのでしょうか。そもそも、障害受容というものは本当に存在するのでしょうか。
教科書で習った「段階理論」
多くのリハビリテーション専門職が学校で習った障害受容の段階理論があります。
この段階を経て「受容」に至るというモデルは、国家試験にも出題されるほど広く知られています。しかし臨床の現場で、この通りにきれいに進んだ患者を見たことがあるでしょうか。完全に受容に辿り着いたと言い切れる人を見たことがあるでしょうか。
多くのリハビリ専門職が「ない」と感じているのではないでしょうか。
概念を広めた本人が警鐘を鳴らした
障害受容の概念を日本に広めた上田敏先生が、2020年に自ら再論を発表しました。
上田敏(2020)「『障害の受容』再論―誤解を解き,将来を考える―」
J-STAGE掲載論文
概念を広めた当事者自らが、その誤用を指摘したのです。「あの人、受容できてないよね」というスタッフの発言が、まさにその誤用にあたります。受容できていないことを患者の問題として語る——それ自体が間違っているということです。
段階理論の出自と限界
障害受容の段階理論の出発点は、戦後の傷痍軍人の心理的回復プロセスでした。それを脳卒中にも、認知症にも、発達障害にも当てはめてきたこと自体に、そもそも無理があったのかもしれません。
障害の種類・発症の経緯・年齢・性格・社会的背景によって、心理的プロセスはまったく異なります。一つのモデルですべての障害・すべての人を説明しようとすること自体が、臨床の現実とかけ離れています。
田島明子「障害受容について考える―支援の場面からの一考察―」
J-STAGE掲載論文
受容は「ある・ない」ではない
少し考えてみてください。あなたは自分の容姿を受容していますか?
気にする時もあれば、吹っ切れている時もある。腹が立つことすらある。その繰り返し。でもそれが人間であり、ただ折り合いをつけて生きているということではないでしょうか。
障害も同じです。受容を「ある・ない」の二極化で分けること自体が、人間の心理の複雑さを無視しています。揺れながら、迷いながら、時に怒りながら——それでも日常を生きていく。その過程こそが「受容」に近いものではないでしょうか。
リハビリ専門職にできること
かつて私自身も「障害受容ができていない」と報告したことがあります。今思えば、それは誰を納得させるための評価だったのでしょうか。患者のためではなく、チームへの説明のための言葉になっていたのではないか、と振り返ります。
受容は「ある・ない」の二項目で語れるものではない。その認識を持った上で、私たちにできることは何か——それは、折り合いをつけていく過程に伴走することではないでしょうか。
「受容できていない」と評価するのではなく、「今、その人はどこにいるのか」「何に揺れているのか」「何が折り合いの妨げになっているのか」を丁寧に見ていくこと。それが専門職としての関わりの本質だと思います。
- 障害受容の段階理論は戦後の傷痍軍人研究が出発点で、すべての障害に適用することに無理がある
- 概念を広めた上田敏先生自身が「患者を非難する用語として誤用されている」と2020年に警鐘
- 受容は「ある・ない」の二項目で語れるものではなく、揺れながら折り合いをつける継続的なプロセス
- リハビリ専門職の役割は「受容できているか」を評価することではなく、折り合いをつける過程に伴走すること